喉の奥でむず痒さを感じつつ、新しい年が開けた。
新年、明けましておめでとうございます。
これは、2016年年末〜2017年の年明けかけて、正月を実家で過ごそうとしていたのにも関わらず、一人ぼっちになってしまった俺の悲劇と、母との初笑いのライフログである。
理想の年末年始の過ごし方
それは実家のある五島列島(ふるさと)で過ごすこと。
”正月休みは実家で過ごす”という日本人特有の伝統にしがみつき、一段と寒さが厳しくなっていた年末に、新しい新年を迎えるため、実家に帰郷するつもりだった。
先に嫁さんと子ども達だけ、俺のふるさとである”五島”の実家へ出発しており、数日後にそれを追いかけるつもりでいた……
風邪をこじらせて実家に帰れず
しかし、こともあろうことか、風邪をこじらせてしまったのだ。
「ゴホゴホッ」…最悪だ。
咳をする度に、唸るように喉を刺激する風邪の亡者たちに、俺は為す術もない。
俺が思い描いていた理想の年末が、「ゴホゴホッ」という凄まじい爆音を響かせながら崩壊していった。
親の手料理……親の優しさ……親の温かさ……1年にたった1回、または2回(お盆ね)しか味わえない、上げ膳据え膳の王様気分である”KING OF DAY in jikka”。
あぁ……実家に帰りたい……
しかし、帰ったところで、そのまま実家で寝込み、挙句の果てに、家族や親族にまで病原菌を移してしまいかねない。
先に実家に帰っている嫁に、この悲しい思いの丈を電話で伝えた。
そう、嫁に話しながら、俺はあることを期待していた。
ふふ…そんな言葉を期待していた。
さぁ、実際は……
………
……………
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……………
……………………
………………………………
ツーツーツーツーツーツー……………
“現実はそんなに甘くない”というよく聞く言葉そのままに、見事に嫁は期待を裏切り、俺は天井という空を見上げた。
つまりこう言う事……
年末に風邪をこじらせてしまい、家族を追いかけることができず……体調不良のまま、そのまま1人ぼっちで、自宅で年明けをすることになったのだ。
2016年12月31日において、一段と厳しくなっていた冬の寒さよりも、厳しい孤独と現実が、自宅の暖房で暖かいはずの俺の身体と心を、さらに一段と厳しい寒さにして包み込んだ。
1人って…寂しい。
年末年始を一人ぼっちで過ごす
それは、まさかの1人で過ごすこと。
寂しさという心の描写を痛切に感じさせる冬の二者択一である”冬の寒さ”と”孤独”を感じているのは間違いない。
しかし、何故だろう。
…………なんだか気分は絶好調だった。
それもそのはず、俺は今年、絶対に達成したい事、やりたい事があるから。
だから「1人の時間ができたじゃないか!」そう考えることにした。
正月の休みを、それをやるための準備期間にすることにした。
しかし、ふと気を許すと、「正月に1人…寂しい俺」という子供みたいな自分がここぞとばかりに小舟を前に出してこようとするので、しっかりと「自分のやりたいことに集中する」という大きな帆を張った大型船を出し、どんなに大荒れな海原をも渡っていく意思を貫いた。
風邪で体調不良なので、軽やかなスタートダッシュは期待できないが、黙々と闘志を燃やし、荒ぶる魂を研ぎ澄ました年末になった。
新たな年、新たな朝を記録に残すこと
元旦、もちろん1人だったので、早朝から初日の出の撮影に向かった。
奇しくも嬉しいことに、自宅から徒歩1分のところに広がる大海原(東側)。
すこぶる寒い極寒の海原を前に、身体は寒いが、新たな年に闘志が燃え盛り、心が熱いのなんのって。
そんな新たな門出を写真に記録する。
初日の出の撮影に使用した機材は、Canon EOS 60Dと標準レンズ。
Canon EOS 60Dは、かれこれもう4年以上は使っている愛用カメラ。
そろそろ、新しいカメラがほしいところ。
ただ、このCanon EOS 60Dの使い勝手はすこぶる良いし、愛着もあるので、迷い中。
これはiPhone7で撮影。
今やiPhoneのデフォルトでタイムラプス撮影が可能なんで、ほんと便利。
その他に、iPhoneのカメラの撮影を上手く使いこなしたい方は、以下の記事を参考にどうぞ。
元旦から、母と電話越しの初笑い
田舎のお正月と言えば、「天狗」という五島。
その五島でお正月を過ごしている嫁から送られてきた”実家で過ごす家族みんなの楽しそうな天狗との写真”。
それをよだれを垂らしながら横目で見つつ、家で黙々と好きなことを楽しんでいるところに、その集中力をいきなりシャットダウンさせるように五島の実家の母から電話があった。
……………………
俺は少々返事に困った……
なぜなら、35歳というおっさん年齢に到達して、少しだけ人生の終焉の香りを漂わせる年代に突入してしまった息子に対して、子供扱いする母に……
思わず俺は……
と、すかさずキレッキレのツッコミを入れた。
しかしおかんは、俺のツッコミの意味を理解できないまま、怯むことなく平然と話しを続ける。
一人だから心配してる?
なぜ?
なぜだ?
俺は五島の実家を出てから、もうかれこれ20年にはなる。
”心配”というのは分かるが、今さら「ごはん食べてるか?」という心配をされることに、超絶な違和感を覚えた。
そして………
と、またもやキレッキレのツッコミを入れた。
ようやく、ツッコミの意味を理解してくれたようだ。
親元を離れて数十年経っても、年齢がおっさんの域に入っても、2人の子供の父親になっても、どうなったとしても………
親からすれば、いつまでも子供は子供。
「そんな親に、俺もなりたいな。」
それが俺にとって、2017年の初笑いとなった。
一人で寂しく食べていた年越しうどんも、それおかげで温かい年越しうどんとなった。
では、また。