「お前の顔は、10年は見たくない!」って言われたことありますか?
生きていれば、色々なことで問題を引き起こし、色々な形で怒られたりすることもあると思います。
僕はある仕事をする中で、「お前の顔は、10年は見たくない!」と言われ、尋常じゃなく怒られたことがあります。
その言葉を聞いた時は………絶句でした。そして、尋常じゃないくらい凹みました。
人生80年生きたとしても、そんなえげつない言葉を言われることってあんまりないですよね?
僕の人生の中で言われたあらゆるお下劣非道な言葉のトップ3にランクインするくらい、僕の人生の中で黒歴史として伝説となっています。実際は、もっと酷いことを言う非道な人間もたくさんいるとは思いますが…
ということでこの記事では、そんなえげつない事を言われてしまっても、”折れない心”を作る方向にメンタルをシフトさせる方法をお伝えします。
この記事の目次
自分が悪くないのに怒られること
意図して怒られようと思ってない
もちろん、怒られるのには様々な理由があります。
しかしながら、怒られようとして意図的にやる人なんて、それほど多くないはずです。
怒られるのが分かっていながら、怒られるような事をする人は、相当肝の座った”どM”か、ドッキリの仕掛け人くらいです。
つまり、どんなに些細な事で怒られても、どんなに重大な事で怒られても、人は怒られたくて怒られようとしているわけではありませんよね。
僕だって、「お前の顔は、10年は見たくない!」と言われたくて、言われたわけではありません。
そこでまず、あなたに見て頂きたい動画があります。
以下の動画をちゃんと観た上で、記事を読み進めて下さいね。
怒られてると思うのか、教わってると思うのかは自分次第
そう!「自分次第」
数年前に放送されていたKIRINのCMなんですが、誰かに怒られた時、悲しみや怒り、憤りの感情をどこへ向かわせるべきなのか?という道しるべであり、そこが”ゴール”です。
その「自分次第」というゴールにこそ、”折れない心”にメンタルをシフトする方法、突破口なんです。
例え相手が、意地悪で怒ってきたとしても、その捉え方は自分次第ってことです。
怒られても平気になる人へ
まず何よりも学びを考え 気持ちを作る
なぜ怒られたのかを考えることも大事ですが、なぜ怒られたかが分からない時だってありますよね?
俺は、何をした事で怒られてしまったのか?というところが分からない。
または、「自分は何にも悪いところはないので、怒られる理由はない」とか。
それを考え出すと、怒られた時の感情が、より複雑化してしまい、収拾がつかなくなってしまいます。
もちろん、怒られたからと言って、自分に100%非があるわけじゃない時もありますし。
また、怒った相手が、ただ闇雲に感情的になってしまったというケースもあるでしょう。
だからこそ、怒られた時は、いつも以上に”学び”を考えなければならないんです。
ある事で、「お前の顔は、10年は見たくない!」と言われた直後に、「なんでお前にそんなひどいこと言われなきゃなんないんだよ!」と、感情を複雑化させてしまいそうになりましたが、すぐに”自分次第”という事を思い出し、ある事を考えました。
1%でも自分の不徳なところがあったんだ
100%の確率で自分が悪くないと思っていたとしても、”1%でも自分の不徳の至らないところがないかを考える”んです。
相手が怒ったということは、自分自身が相手の怒りを買うような態度や言動や行動が少なからずあったからです。
もしかしたら、怒る側に”何かしらの心の歪み”が生じていたのかもしれません。
つまり、虫の居所が悪かったということもあります。
機嫌が悪く、ちょっとしたことも気に障る状態にある。不機嫌である。
その虫の居所が悪い状態の相手の気持ちを察する事が、こちら側にできなかったということも考えられます。
実際に、自分に置き換えてみれば、何か嫌な事があった直後で、イライラしていた時に、接触してきた相手が人の感情や状況などお構いなしにズケズケと歩み寄ってくるような態度や言動だとしたら………イラっとしますよね?
とは言え、そんなことを言っても、相手の状況がどうなっているかなんてわかりません。
だから、怒られた時は、いつも以上に”学び”を考えなければならないんです。
自分が相手の状況を汲み取ることができなかったんだと。
自分が100%悪くない!という状況は、限りなくゼロに近いことだと言わせてもらいます。
受け取り方は自分次第。
1%でも自分に非があると考えるか、0%も自分に非がないと考えるかは、自分次第です。
たった1%の差は、非常に都合の良いことを自分に与えてくれます。
そして如何なる場合であれ、まず謝罪する
理不尽であろうとなかろうと、如何なる場合でも、相手を怒らせてしまったことを1%であっても真摯に受け止めて、謝罪をすることです。
これは、反省ということではなく、”相手を理解”するということです。
相手の怒った状況や環境、自分が怒られた状況と環境、これらを理解したことによる、謝罪です。
以上のことを踏まえた上で、自分のことを肯定することで、突破口から突破していきます。
私には人を怒らせてしまうほどの力がある
日々の暮らし中で、いつもいつも誰かに頭をペコペコと頭を下げてへり下る人生ではなく、時には怒られながらも、自分の意志をつらい抜いていきましょうよ。
相手の機嫌を伺うのではなくて、自分は自分。
相手に合わせることはないんです。
それが自分なんだから。
もちろん、自分が100%悪いと分かったことで怒られたのなら、話は変わってきますが、それでも”自分は良かれと思ってやったこと”ならば、きちんとステップを踏んだ後、全面的に自分を肯定していきましょう。
たった1度の人生、自分を自分が1番に認めてあげることは大切です。
それが、大失敗や大失態だとしても、失敗したくて失敗したんじゃないんだから。
どんなに怒られようと、私は私。
もし仮に、「お前の顔は、10年は見たくない!」と言われようともです。
だから「私には人を怒らせてしまうほどの力がある」ってこと。
人と同じではなく、そのくらい生意気が言える人生にしましょう。
ある意味で、まだまだ自分は腐っていないんだと。
まとめ
- 受け取り方は自分次第
- 何よりも先に”学び”を考えること
- 1%でも不徳の致すところを見つけること
- 如何なる場合でも謝罪する
そして、人を怒らせてしまうほどの力があると思うことです。
最後に
何度も言うように、誰かを怒らせたくて怒らせようとしている人はいません。
だから、怒られた時は、”受け取り方は自分次第”。
1%でも自分の不徳なところを見つけて、如何なる場合でも謝罪する。
これらを踏まえた上で、「私には人を怒らせてしまうほどの力がある」と自分を肯定していきましょう。
怒られたということは、”人と違った”ということで、そもそもその相手と自分も違う人間なんだってことです。
つまり、個性である。
逆に言えば、一度も怒られたことがない人より、逆に波風立てる人生の方が、自分らしい人生につながります。
僕には人を怒らせてしまうほどの力があったから、「お前の顔は、10年は見たくない!」と言われてしまったんですね。
だから、そんなことを言われない人生よりも言われる人生でよかったです。
もちろん、そんなことを言われない人生を生きる方が多数派であり、言われる方が少数派なのは明確です。
しかしながら、怒られたなら、きちんとそれと向き合い、自暴自棄になるのではなく、自分を肯定してしまいましょう。
その度にメンタル強化され、”折れない心”はすくすくと成長を遂げます。
”何にも気づけなかった”ってことではなく、”何かに気づくことができた”ってことなんですからね。
「怒られた時は、人生の学びの時であり、自分というものがここにいることの証明である」
と、僕は考えます。
怒られても、生意気にはなってもいいけど、不機嫌にはならずに、真摯に受け止めてみましょう。
最後まで読んでくれてありがございます。では、またお会いしましょう。
また、以下のような書籍もメンタルシフトには大変役に立ちますので参考までに。
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