お笑い芸人や絵本作家としても活動しながら、マルチな才能を魅せる西野亮廣さんの「えんとつ町のプペル」の絵本を買ったので、それを読んだ感想を書きました!
いつも”俺的デザインログ”を読んで頂き、ありがとうざいます。どもども、イシハラ イッペイです。
では、早速、西野亮廣さんの絵本「えんとつ町のプペル」の紹介と、読んだ感想を書いていきます。
この記事の目次
西野亮廣さんのえんとつ町のプペル
Amazonでも1位を獲得するほどの人気の絵本
この「えんとつ町のプペル」って絵本は、2016年10月21日の発売1ヶ月前にも関わらず、すでにAmazonの絵本ランキングで1位を獲得していたほど、発売前にも関わらず人気を博していました。
西野亮廣さんについては、コチラの記事に書いているように、それほど興味はありませんでした。しかし、西野亮廣さんのブログを読んだり、ビジネス書籍の「魔法のコンパス 道なき道の歩き方」を読んだり、西野亮廣さんの活動や考え方などをオフィシャルブログで読んで、一気に西野亮廣という人間を好きになりました。
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だって、「ウォルト・ディズニーを倒す」なんてバカげだ夢を実現しようとしてるんですよ。それを聞くだけで、なんだかすごくワクワクする自分がいました。そんなこんなで、この「えんとつ町のプペル」という絵本を購入しました。
ストーリー/あらすじ
ペン一本で描いたモノクロ絵本で世界を圧倒したキンコン西野が、業界の常識を覆す完全分業制によるオールカラー絵本!
「信じぬくんだ。たとえひとりになっても。」
おはなしーーーーーーーーーーーーーーーーー
4,000メートルの崖に囲まれ、外の世界を知らない町がありました。
「信じぬくんだ。たとえひとりになっても。」 おはなし 4000メートルの崖にかこまれ、そとの世界を知 らない町がありました。
町はえんとつだらけ そこかしこから煙があがり、あたまのうえはモックモク朝から晩までモックモク。
えんとつの町に住 むひとは、くろい煙にとじこめられて、あおい空をしりません。かがやく星をしりません。町はいま、ハロウィンまつりのまっただなか。魔よけの煙もくわわって、いつもいじょうにモックモク。
あるとき、夜空をかける配達屋さんが、煙をすってせきこんで、配達中の心臓を、うっかりおとしてしまいました。さすがに視界はこのわるさ、どこにおちたかわかりません。 配達屋さんはさっさとあきらめ、夜のむこうへスタコラサッサ。ドクドクドクドクドックドク。えんとつの町のかたすみで、あの心臓が鳴っています。
- 脚本/監督:にしのあきひろ
- 参加イラストレーター・クリエイター総勢33名!
引用元|えんとつ町のプペル
えんとつ町のプペルの歌
大王とロザリーナの歌声が重なっているところは、すごく絵本チックな雰囲気が出てます。
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絵本の制作期間4年
その制作期間、驚くなかれ…4年半です。サッカーワールドカップよりも少し長いという。
イラストレーターやクリエイター総勢33名もいるのに、どれだけ製作期間をかけてんだよ!って言いたいところですが、それにちゃんと理由があるんだと思います。つまり、それだけの”思い”があるからこそ、制作期間にそれだけの時間をかけられたということです。
では、絵本を読んだ感想を書いていきますが、ネタバレありなのであしからず。
えんとつ町のプペルの感想レビュー
キンコン西野の絵やイラストがすごい
えんとつ町のプペルのイラストについてなんですが、上記の画像をご覧の通り、絵本という領域をあ遥かに越えたクオリティーです。絵本というより、アニメ。これ、絶対に短編もしくは長編アニメ映画化されると思います。それを狙ってるんですよ、西野はきっと。あっ…西野亮廣さんは。
細部に渡り作り込まれた、そして描かれたイラストは圧巻の極みです。
【追記】えんとつ町のプペルの2019年に映画化決定!
そもそも絵本のイラストって、子供向けというか、完成度が高くないことが鉄板みたいな印象を今まで受けることが当たり前でした。しかし、これはそんなもの取っ払って、「子供の絵かどうか、大人の絵かどうかなんて、俺たちが判断するんじゃなくて、その人その人が判断するんだ!」ということなんだと思います。
千と千尋の神隠しのような絵の表現力
また、絵本の全体的な絵の雰囲気や情景といったところでは、「千と千尋の◯隠し」の表現に見えました。もちろん、オリジナリティがない!という意味ではなく、すごく感情を揺さぶらる絵ってことです。
えんとつ町という少々ダークなイメージが先行する中、すごく綺羅びやかで感情に入ってくる絵ってことです。ただ、町並みに関しては、ゴミ人間プペルという主人公を取り巻く周りの登場人物の名前がルビッチなどの横文字(日本以外の国)が並べられているにも関わらず、町並みを飾るお店の看板などはほとんど日本の昭和を彷彿とさせる「日本語」で表記され、ノスタルジックな印象……
ここはどこの国の話なんだよ?と、シンプルにナゾめいてしまいます。
えんとつ町という空想の国の物語だけど、登場人物の名前が横文字(カタカナ)、絵も外国人の風貌であるにも関わらず、日本の昭和の看板が立ち並ぶって……なんだか、統一性がないかな?とも感じがしました。
ストーリーの文字が日本語と英語表記にもなっているので、いっそのこと、グローバル化を考えているなら、もっと中世ヨーロッパ的な名前を、お店などの看板につけるべきだったのでは?と感じました。
心臓とゴミで生まれた「ゴミ人間プペル」というダイレクトな表現が臭くて良い
表現の仕方がダイレクト。そのゴミ人間を主軸として、ルビッチという少年が織りなす感情描写。「信じぬくんだ、たとえひとりになっても」というのが、絵本のコンセプトワードになっているようですね。
ただ、このコンセプトワードは、ゴミ人間プペルにのみ適用されているようです。つまり、絵本のストーリーやその全般に対してのコンセプトワードではなく、ゴミ人間プペルが「信じぬくんだ、たとえひとりになっても」というコンセプトワードを貫くという描写。 普通に考えて、当たり前の設定ですが、このえんとつ町のプペルに関しては、ルビッチのイラストの雰囲気や描写(ルビッチの生活の背景)が、共感を得る要素が大きいように感じましたので、ルビッチにも「信じぬくんだ、たとえひとりになっても」というコンセプトワードを当てはめてもらえれば、もっと共感できたように感じました。
周りの声で自分を見失ってしまうところなどに共感できた
ルビッチは、最初は素直な子だったけど、やっぱりマジョリティに流され、「信じれれなくなった」し、「大切なものを探すのを止めてしまったり」と、信じるというシンプルなことを見失うってしまう。 そこをゴミ人間プペルが巻き返しを図るって感じですが。
絵の完成度、ストーリーの深みは、読む人によって変わりますからね。 俺的には、もちろんグッときた描写も多くありました。 素晴らしいからこそ、「この本の可能性を探ってしまう」というポジティブな感情になりました。
西野亮廣という人を読む
この本だけを読むというより、西野亮廣さんが4年という歳月をかけてクリエイターやイラストレーター総勢33名で仕上げた!というところにも、大きな大きなストーリーがあるはずです。 ”西野亮廣さんの絵本”という入り方ではなく、「夢」を知る「希望」を知る「それを信じる」というパーソナルな部分を、改めて感じられることができるものになってます。
西野亮廣による読み聞かせ動画
最後に
ということで今回は、西野亮廣さんの絵本「えんとつ町のプペル」の紹介と、読んだ感想を書きました。2019年には映画化も決定しているようなので、発売から数年経っていますが、まだまだこれからが楽しみな作品です。
では、またお会いしましょう。
また、僕が実際に読んできた本のランキング企画やおすすめ本などをこのブログでは定期的にご紹介していますので、ぜひこちらから最新のおすすめ本をチェックして下さい!
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