自分磨き??自分探しの旅に出る人は、その前にこの本を読もう。どこにいたって、自分はここにいるんだから。自分を見つめたい、探したいなら、他者から見た自分を知ろう。

自分とはどこにある。

自分とはここにある。

いつも俺的デザインログを読んで頂き、ありがとうざいます。

どもども、PEITAデザインブロガー@PEITA)です。

何十年も生きていれば、”自分”というものがなんなのか?

それに迷い、それに悩み、それに生きることになります。

十代の頃は、突っ走ることばかりで、なかなか”自分”という本質を見ようとせず、「可能性は無限大」とか思ってました。

30代に突入して、ふと”自分”について考えたくなり、森博嗣さんの書かれた「自分探しと楽しさについて」という本を手にとって読んでみました。

この本は、自分を見つめ直すのに、最適な本です。

自分探しと楽しさについて

老若男女を問わず、「自分探し」を続けている人は少なくない。自分の存在は、自分にとって最も明らかなはずなのに、なぜ見つけることができないのだろうか。現実に多くの人が、自分の生き方に悩み、自分探しを続けている。もちろん、個々人が置かれた状況はさまざまであり、万能薬は存在しない。その事実を踏まえたうえで、人気作家が、「あなたの中の前向きな気持ち」を、そっと引き出してくれる一冊。

人間にとって一番大切なことは、個人が「楽しく生きる」ことだろう。

こう著者は、書き出しています。

しかしこの本は、いわゆる自分を探しの答えや、楽しさの答えを紡ぐ本ではありません。

著者自身の考え方、価値観に基づきながらも、一般的な視点を加えながらのエッセイのような内容になっています。

つまり、この本で、著者の考えのまま生きよ!ではなく、そのような考え方のおすそ分けを受け、”それをどう活かすのか?”といったところだと思います。

人生の時間は限られている

人生というものは時間が限られている。生きている時間は、そんなに長大ではない。誰でも知っていることである。

ここで著者は、人生を70年とすれば、月で840ヶ月、日だと2万5000日、寝ても何しても時は過ぎるとしながらも、”いつ死ぬかわからない”んだと書かれています。

実際に、「あなたの人生はあと何日と何時間何分何秒」なんてこと、誰にも分かりません。

しかし、その限られた時間の中で、自分はどこに進んで、どこに進まなくて、何をして、何をしない、何を買って、何を買わないという様々な選択肢の中で、”自分”というものはどこに向かっているのか?を考える必要がありますよね。

だからこそ、俺たちは、自分の人生への期待値を高めるために、人生を進んでいくということですね。

それを高めることは、”人生をいかに楽しむか”に尽きることでもあると思います。

関連記事 ➡悔いのない人生を送るための魔法の言葉「明日って、あと何回来るんだろう?」|「俺が0歳の時、実の父は死にました」そこから学んだ、自分の生き方。

自分はどこにあるの?そう聞かれたら、答えは簡単

実際のところ、「自分」はどこにあるのだろうか。それをもし面と向かって問われたら、その答えは簡単だ。きいた相手を指さして、「貴方です」としか言いようがない。ほかにどこにもない。それ以外の返答はオカルトになる。

そんなこと分かってます!って言いたくなりますが(笑)

要は、自分は自分でしかないってことですよ。

結局のところ、「自分」というのは、「他者」以外という概念として捉えられるものであって、周囲の人や物を観察して、それについて考えたとき、その視点、その思考がすなわち「自分」なのである。

例えば、あなたは”自分は優しい性格”だと思っていたとして、それが自分であると、当然あなたは考えています。

しかし、他者からは、”あなたはいつも怒りっぽい”と思われているとしたら?

それでも、あなたは”自分は優しい性格だ”と思いますか?

ってことですかね。

「自分とは、相手がいて、はじめて成立する」ってことを、著者は言われています。

つまり、自分はどこにでもあるってことが著者の思いだと思います。

自分とは?と悩んだり迷ったら…

そんな時は、すかさず近くの誰か【他者】に聞いてみればいいんですよ。

それが自分の意図と反していたとしても、それが自分なんだと捉えて、自分の意図していない自分の存在を受け入れ、自分が意図している自分になれるように、するべきことをするってことですかね。

また、著者は「あまり自分とは?」と考えないほうがいいとも書かれています。

それでも、自分というものを考えたければ、「夜空を眺めたり」「何かを作ったり」と、いつもしないことをしてみると、自分が見えてくるってことを書かれています。

自分探しの旅に行くなんてことを、若い世代はよく考えますよね。

もちろん、俺もそうです。

20歳の頃、10代の頃過ごした地の振り返りの旅をしたことがありました(笑)

でも、場所は関係ないってことを、著者は言われています。

実際に、そういう自分探しの旅って、”自分を見つめ直す”旅ということだと思います。

もし、自分に迷ったら、誰かに聞いて、いつもしないことをしてみるのもいいですね。

誰もが楽しさを知っている

大多数の人はそれなりの楽しさを知っている。知っているからこそ、現状「つまらなさ」を感じるのである。これは、「寂しさ」や「悲しさ」でも同じことで、そうではい状態を思い描き、比較をした上で、「このままではいけない」「こんなふうでは生きていけない」と思考する。

著者は、自分と楽しさは同義であると書いています。

実際に、自分が自分を思い描く時、悲しいことなんかを望むはずはないですよね?

やっぱり、楽しい自分を思い描くと思います。

だから、自分とは?ということは、楽しいという感情や思いや環境にいることが、”自分であること”という解釈もできそうです。

自分で道を決める

何を捨てるのか?それは自分で決めるしかない。何を優先するか?ということになる。

リスクを犯して、自分の望むものを手に入れること。

つまり、チャレンジすることの重要性を問うているようです。

チャレンジと言っても、それは捉え方ひとつで変わります。

できることに挑戦したって、それは挑戦と言わない。

できないこと、または新しいことに対して、”挑戦”ということが言えます。

つまり、自分を見つけるには?楽しさを見つけるには?何かに挑戦してこそ、見つかるということですかね。

それが、”今まで自分でも知らなかった新しい自分”ってことでもあると思います。

他者から見た自分

一般的な意味での「自分」というものを考えるときに、絶対に避けられないものが「他者」である。

著者が言うのは、先述した通りに、他者がいるから”自分”というものがあるということ。

ここで言う他者とは、自分以外のすべてということです。

自分を見つめるなら、他者は自分をどう思っているのか?どう見ているのか?を考察するべきだと、著者は書いています。

本当にごもっともだと思います。

本来あるべき姿の自分というものは、他者からすれば違う自分なわけです。

しかし、その違う自分こそ、”ずっと探している自分”なわけだと思います。

他者があるから自分がある

たとえば、貴方が1日にする行動について考えてみよう。もし、世界に自分一人しかいなかったら、あれもしない、これもしない、どんどんやることが減っていく。結局、んベッドから起き上がらないのではないか、と思えるほど、他者の行動のためにあなたの行動は支配されているだろう。

自分がする行動すべてが他者の存在があってこそなりということでしょうかね。

”自分のために生きる”ということを信念として生きたとしても、それは元を辿れば、他者に関わることで、”生”を感じることになるでしょうからね。

発言は自由である

「お前はどうなんだよ」「お前には言われてたくない」という反論をすべきではない、と僕は思う。本人は駄目でも意見は立派だ、ということはある。耳を傾けても損はない。

実際に俺もそういう時があります。

例えば、家族みんなで食事をしている時「ごはんの最中にテレビは観たらダメ!消しなさい。」と娘を叱ることがあります。

しかし、家族で食事ができず、自分一人で食事をする時に、iPadなどのタブレットで動画コンテンツを観ながら食事をする自分がいます(笑)

例えば、職場の同僚が人間関係で悩んでいる時に、偉そうに「その人から嫌われたって、世界中からしたらちっぽけなこと。その人を見らずに、自分を思ってくれる人や慕ってくれる人のために生きればいいじゃん!その人のことで悩む事自体、時間のムダじゃない?」とかアドバイスや相談に乗ることがありますが、実際自分が人間関係で悩んだ時…そうは思えてませんしね(笑)

言っていることは立派?だけど、行動がともなっていないパターンということです。

つまり、人間です。

人間には感情というものが存在します。

だから、時と場合によっては善悪を判断し、時と場合によっては、どちらか一方に偏った判断をしてしまうってことですね。

そういう風に偏った判断をしている時は、他者の意見がとても有能なことが多々あります(笑)

どう転んだとしても「君にそんなことを言う資格ない」なんて返すべきではないと著者は書いています。

そんなことを言う人は、よほど”自分が確かな人”なんだろうと、皮肉った表現で書いていたりします。

ほんと、人に物を言う前に、足元を見よ!なんてよく言いますけど、実際に「お前が言うな」「お前も言うな」ってこと。

他者ではなく、その他者の”意見”は、とりあえず肯定的に受け入れたいですね。

最良の楽しさを追求できる時は、”今”この時

懐かしいことはあるけれど、昔の方がよかったなんて感じることはなんて「自分」に対しても、「社会」に対しても、ほとんどない。どんどん良い状態に向かっているように感じる。

俺もそう思います。

子どもの頃って、思い出すと懐かしいです。

でも、それで自由だったか?楽しかったか?と考えると、大人になるにつれ”自由”への選択肢、”楽しい”の選択肢は、格段に増え、それらを自分の判断、自分のさじ加減で選ぶ事ができる、それが大人。

つまり、”今”という最先端が、自分の中の最高に”楽しい”時であると思う方が得策なのかもしれませんね。

良かった点

この本の魅力は、”自分”というものを見詰め直すための、ごく一般的な考え方を提供しながらも、著者自身のエゴという文章の表現の仕方が、たまらなくつまらない。

でも、そのつまらなさが、本当に面白いです。

おっさんの雑談、ひとり語りを聞いている感覚ですね。

実にシュールで面白い、それでいて、”自分”というものと”楽しさ”のつながりを、深く切り裂いています。

著者自身、一人作業が好きなようです。

俺も、一人作業が大好きなので、すごく読んでいて共感できる部分も多くありました。

  • 著者は一人遊びが好き

ここが非常に共感できたので、読んでいて面白かったですね。

残念な点

ただ、著者自身の意見やマインドを書きつつ、やはりどこかで”一般的に”という解釈が出てきますので、そこは”俺はこうだ!”だけで統一してほしかったですかね。

あとは、ただただエッセイのような感じですので、まとまりがないように感じました。

  • ダラダラ感がありすぎる

あれも言い、これも言い、言えば言うほど、それに伴う理屈が必要になるので、ダラダラしているところがありますね。

それでも、この森博嗣さんの文章力がすごいですね。

専門的でありながら、シュールな笑いのツボもあり、これは本心なのか?嘘なのか?と、著者の思いの汲み取り方で、無駄文章が光り輝く一行に見える時もあります。

文庫本だと、数時間で読めてしまう程の分量ですが、読み応え十分です。

自分探しと楽しさについてのまとめ

自分を見つめると楽しさが見えてくるし、楽しさを追求すると、それが自分だということが分かります。

  • 自分を見つめ直すなら、他者を見る
  • 楽しさは結果ではなく、プロセスを楽しむ

こんな単純な答えを紐解いた訳ではありませんが、ひとつ言えることは、俺はよく人から、「いつも適当だね」と言われる事が、多々あります。

本当はそんな自分は嫌なんですよ!本当は人一倍真面目だし、ストイックだし!って思ってます。

でも、「適当なのも自分なんだ」と思えるようになりました、この本のおかげで。

それが良いのか悪いのかではなく、それが自分ということ。

つまり、それが嫌な自分なら改善しよう、それが良い自分なら伸ばしていこうってこと。

あなたも、”自分とは?””楽しさとは?”と考えることがあるなら、この本を手にとってみましょう。

この森博嗣先生は、小説家です。

でも、このような本をいくつか書いています。

参考にその他の本のリンクも貼っておきますので、絶対に読むべし!

では、またお会いしましょう。

See you next.

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